健康
健康であるからなんでもできる。
健康であるから、楽しく生きられる。
健康であるから、旅行に行ける。
健康とはそれほど大切な物。
といいつつ、普段から意識できていないなーとも思う。
また、健康は考え方からくるとも学んだ。
物事をどう捉えるかという意味だと思う。
心の病気という言葉もあるように、体の健康だけでなく、心も元気でいたい
より幸せになる考え方をしていきたい。
今日もいい一日になりますように!
どこへでも
人はどこへでもいける。
それは能力の問題でも、学歴の問題でもない。
ただ、勇気の問題である。
覚悟を決めれば、どこへでもいける!
いつも一緒
いつでも一緒にいる人がいる。
いつだって自分を見てくれている人がいる。
いつだって自分の味方でいてくれる人がいる。
でも、時としてそれを忘れていることもある。
ついつい厳しい言葉をかけたり、評価をくだしたりしてしまう。
でも、それすらも大きな器で包んでくれる。
いつだって見守ってくれている。
それは、自分自身。
そんな人のことを大切にしていますか?
想いと現実
想いと現実という話を書きたいと思います。
といいつつ、すごく曖昧なものなので、自分でもしっかりと固まった考え方にはなっていないですけど(笑)
あと、これは学会で正しいと発表されたこととかではなく、自分の中でこういう考え方もできるんじゃないというシェアの内容になります。
何か正しいものを知りたいという人は、別の方のブログとかを見てくださいねー☆
すごく論拠が曖昧なものも沢山入っているので、世間一般の正しさを追求している人には受け入れにくいものになっているかもしれません。
よく引き寄せの話の中に波動とかって言葉があリますよね。
なんかいまいちよくわからない言葉だよなと思うんです。
波動?波?
という感じです。
全てのものを振動しているという話。
高校の頃の物理で全てのものは粒子であり波であると法則があると、確かアインシュタインが見つけたというの習ったことを覚えています。
ガチ理系の私ですが、面白いなー、へー!と思いながら、いまいち腑に落とせない感覚でした。
だって、自分の体が粒子であり、波であると言っているんですよ!
直感的にはよくわからないですよね(笑)
なので、法則的には正しいかもしれないが、現実にはあまり役に立たないものという感覚でした。
もしくは、原子力とか量子の世界では有用でも、自分の生活レベルではほとんど役に立たないものという認識でした。
ただ、最近は生活レベルで使えるのかもなという解釈ができてきました。
まず、現実世界って粒子でできていると思うんです。
現実って物体世界だから粒子だと思うんです。
触れるし、目に見えるし、急になくなったりしないし。
ナントカの法則では、粒子と波が同時に存在しているとか言うのはナシですよ。
わかりやすくするためです。
じゃあ、それに対して波にあたるものって何かなと考えるじゃないですか。
それが、想いとか思考なのかなと思うわけです。
自分の思考ってすごく曖昧で、次の瞬間には別のことを考えていたり、同時に2つ以上のことを考えているような感覚のときもあると思うんです。
これってまさに波ではないですかね?
浮かんでは消えていくからすごく曖昧なもの。
直感的にも分かりやすい気がします。
要は、波って曖昧なもので境目がはっきりしていないもので、粒子は境目がはっきりしているものを指すのかなと。
言葉にする、文字にする、実際に行動するといったものは粒子的なものかなと。
なので、現実世界に実現させたいのであれば、言葉にしたり、文字にしたり、実際に行動したりするのがすごく効果的なのもわかる気がします。
実現する可能性が高いもの。
ただ、同時にそれ以上にはならない可能性が高い。
逆に思考やイメージというのは曖昧なものであり、実現するの可能性は低い。
でも、それ以上になる可能性があったり、もっと自由なもの。
なので、一長一短なのかなとも思います。
どちらが優れているという話ではないし、どちらも実現のために必要なもの。
うまく使えたらいいなと思います!
今日も最高の一日になります!
それでも世界は素晴らしい!
人を呪わば穴二つ
人を呪わば穴二つ
人を縛れば穴二つ
人を怒れば穴二つ
人を許せば穴二つ
人を喜ばせば穴二つ
人に感謝せば穴二つ
人は鏡です\(^o^)/
今は
今はまだ変われないかもしれない。
でも、明日には変われるかもしれない。
明後日には変われるかもしれない。
もしかしたら、次の瞬間に変われるかもしれない。
人って常に同じ状態にあり続けるものではないと思う。
もちろん、同じであってもいい。
でも、変化する可能性だって十分にある。
そんな自分に期待をして待ってみてもいいのでは?
人の話をきく
おはようございます☆
あまり更新していなかったですが、久々の更新です!
よく人の話を聞きましょうとか、アドバイスを聞きましょうという言葉あるじゃないですか?
私、そういう言葉がすごく嫌いです(笑)
今は嫌い、の話かもしれませんが。
あの言葉って人を縛りつける可能性があるなと思うのです。
人って他人に対してあれこれ言いたくなるときってあると思うんです。
それは、助言という場合もあれば、悪意がある場合もあると思います。
ただ、その助言が本当に効果があるかどうかというと甚だ疑問なところがある。
なぜかというと、その助言というのは、その言った本人の基準や好み、意見が含まれるから。
例えば、その助言の通りに行動、変化をしたとして、十分な効果があるのかどうか?
その通りにしたとして、別のある人はイイねというかもしれない。
でも同時に、更に別のある人は、あまり良くないと言う。
なんかモグラたたきというか、どこかを立てれば、どこかが立たずみたいな感じになっちゃう。
八方美人は全員に嫌われるみたいな。
結局、犬が自分の尻尾を追っているように、どこにも行き着かないような気がします。
だとするなら、人の助言を聞かなくていい。
と言うのは極論過ぎますが、人の助言を「必ずしも」聞かなくていいと思うんです。
人の助言をただ聞くだけだとするなら、他人軸で生きることになってしまう。
なので、その助言を自分が受け入れたいかどうか?
受け入れて、行動や変化させたいと自分が思うかどうかが大事だと思います!
必要以上に助言をしてくる奴は、ただ自分の力を誇示したいだけだったりしますしね(笑)
全員がそうだというつもりはないですが。
要は過剰なはんのうをせずに、いち意見として聞いて、それを実行に移すかどうかは自分次第ということ。
何を言われてもやらないという強い意思をみせてもいいし、すぐに受け入れて変化させてもいい。
柔軟で自由な発想をしていきたいですね♪
今日も最高の一日になります!!